目に見えない虚のところに目をむけてこそ、物の本当の姿が見えてくる

「閑のある生き方」中野孝次著より。
中野氏は物が過剰にある状態が人間に幸福をもたらすわけでもないと述べている。さらに、筆者の友人である加島祥造氏の本「伊那谷老子」からの引用をしていた。その部分は詩の形になっていて分かりやすい。

土をこねてひとつの器をつくる。
中がくりぬかれて、うつろになっている。
うつろな部分があってはじめて
器は役に立つ。
中までつまっていたら、なんの使い道もない。

部屋も食器棚も同じこと。家具や物、食器などで詰まっていたら使いづらい。自宅の部屋もそうなりつつあることに気づいた。無用なものでどんどん部屋が狭くなってしまっている。そのうちと思っているがなかなか整理もできないでいる。
床に積んでしまった本や雑誌は動かすのが億劫になってしまう。そのため掃除もしづらい状態のままだ。やはり何ごともほどほどでなければいけないと痛感している次第。
人の生き方も同様で、将来のためにあくせく働いても今時点が充実しているとは限らない。もっと自分らしく生きるためには生活をある程度単純化することも必要そうだ・・・な。いつになったらもっと単純にできるだろう・・・