“たとえ”はそれを知っている度合い(レベル)で理解度(ナットク度

昨日いただいたコメントを拝見していたら、ふと思ったこと。先月(3/21)の私のウェブ日記では『逆境に負けない人の条件』(アル・シーバート著)という本を取り上げていた。
そしたらなんと!この著書の翻訳者である林田浩文さんからコメントをいただいてしまった。たとえば、どんな人が逆境に強いのかという一例として、雑誌(ENGLISH JOURNAL)のなかで、林田さんは“たとえば、高倉健というより高田純次のような・・・”という表現を用いていた。
このたとえが、面白いので私の日記のなかでも触れていた。そしたら、やはりそれが面白いと感じた人も多かったらしい。林田さん自身もウケたとおっしゃる。私へのコメントのなかで、さらにいくつかの“たとえ”まであげてくださっている。
それらも面白いのでついでにご紹介してみよう。・・・ゴルゴ13よりもルパン3世、島田紳介より所ジョージ項羽より劉邦、犬より猫・・・とあった。具体的な“たとえ”は話しの理解度を増してくれる。
しかも関心のある度合いによってもそれは変わってくるだろう。アニメや劇画好きの人にはタレントの名前よりピンとくるかもしれない。また古代中国史や「史記」に関心があれば、項羽と劉邦のたとえは興味深いことだろう。
さすが林田さんの柔軟な頭脳を感じた次第。それに引き換え私のアタマは・・・硬すぎる!