知識の多い人必ずしも面白人間にあらず。

「パフォーマンス人間の時代」佐藤綾子著より。
まず、この筆者はニューヨーク大学大学院パフォーマンス・スタディ学部の教室で学んだという。そんな学部があること自体ちょっとユニークだと思った次第。何となく面白そう。でもその前に理解できるだけの高度な英語力が必要かも。
さて、彼女は“豊かな内容を得るためには、当然ながら外から絶えず新しい知識を注ぎ込まねばならない”と言っている。それはそうだが、自分が知識を身につけていることと、それを人にきっちりと伝えられるかは別問題だろう。
たまに「専門バカ」というような言葉を聞くことがある。確かに自分の専門分野については人一倍詳しく知ってはいても、それを人に分かり易くしかも面白く説明できる人は少ない。
これは話し言葉ばかりではない。文章にも同様のことがいえる。たとえば、身近なところでは、誰もが経験しそうなパソコンなどのマニュアルがそうではないだろうか。分厚い取り扱い説明書には実に詳しく書かれてはいるものの、なかなか理解しにくいものだ。まあ、私などじっくり読むのがきわめて苦手だから、なおさら意味不明のことばかりだ。
たとえ、どんな難解なことでも、誰にでも理解しやすく説明できるなら、その人のセンス(場合によってはサービスセンス)さえ感じるものだ。学生時代でもかなり退屈な授業があったものだ。あとで考えればそんな教師(教授)の授業料は返してもらいたいくらい。人気のある教授のクラスは確かに面白い授業をしていたな。
この本の表紙には“表現こそが理解を生む”ともあった。まあ、誤解をまねかないためにも表現の工夫は必要だろうな。とはいってもこれを書いている自分もできてないかも・・・