書物というおいしいご馳走を前にしてどうしてそんな不機嫌そうな顔を

「シネマと書店とスタジアム」沢木耕太郎著より。
確かに本を食べ物にたとえることは間違ってはいなさそうだ。まあ、それがおいしいかどうかは食べてみなければわからないが。
本の面白さも食べ物の美味さも味わうことには違いない。また、読みごたえと歯ごたえも似たようなものだ。書物も食べ物も見ているだけでは楽しさ、美味しさはわからない。そのほか、やわらかい、かみ砕く、好み・・・いろいろと共通しているところも多い。
なかには途中で不味くてあきらめるものもしばしばだ。お気に入りの作家がいれば、好物の食べ物とも同じことだろう。本は時には元気、勇気を与えてくれる。食べ物もエネルギーの元になる。
とくに古典や名作といわれる作品なら、噛めば噛むほど味が出てくるスルメのようなものかもしれない。そして、それらは最終的には血となり肉となるのだろう。やはりいい読書は栄養価が高い食べ物のようだ。
この本の中で沢木氏は“批評というともうそれだけで、不機嫌さを隠し持っている感じがするもの。しかし、田辺聖子の「読書感想文」は徹頭徹尾上機嫌で書かれていた。”と述べている。それはもうおいしそうなご馳走を前にした上機嫌なのだろう。
これからもおいしくて味わい深い書物にたくさん出会いたいもの・・・