「純粋」や「百パーセント」という言葉に頭が降伏していた。

「名画読本」赤瀬川原平著より。
「純粋」とか「百パーセント混じりけなし」などの言葉は、先入観のなかでも私たちの判断をかなり左右しそうなものだ。純粋イコール混じりけのない、ということになる。
だから100%と聞くだけで何故か嬉しくもなってしまう。たとえば、100%国産大豆使用の豆腐とか100%国産牛肉などだ。
そこで、筆者はビールについて述べていた。原料に米やコーンスターチの混ざったビールよりも、モルト百パーセントのビールのほうが美味しいと考えていたのだ。そしてあるときビールの目隠しテストをやってみたとき、美味しい、これこそモルト百パーセントと飲み干したグラスは混ぜもののあるほうだったという。
まあ、このようなことは日常でも経験しているはずだ。私はしばしば豆乳を飲んでいるが、口当たりがよく美味しいと思えるのは、純粋のものより調整豆乳のほうだった。赤瀬川氏はビールの目隠しテスト以来、頭の理屈経由の価値観は廃止したらしい。
おっと、この本は「名画読本」だった。絵画も味わうという点では食べ物と同じようなもの。絵画は知識のためではなく純粋に楽しむためにある、というのが筆者の主張のようだ。
そういえば、中学、高校時代の美術の授業では実技は楽しかったが、教科書の内容を単に知識として憶えるのは馬鹿らしく思えたものだ。絵画の知識を詰め込まれ、この絵はこう鑑賞すべきだ、などと教えられても面白くはないな〜(まあ何でもそうかもしれないが・・・)