ただただ、さまよい、歩き、そのことでいくつもの発見をした。

「牛乳の作法」宮沢章夫著より。
筆者は劇作家・演出家をしている人だ。あるとき軽井沢で若者に演劇の指導をしたときの話だった。これは「歩く」という章のなかにあったフレーズ。
まず、メンバーをA班、B班の2つのグループに分けて、軽井沢で見つけたものを元に小さな劇の発表をさせている。A班は綿密な計画を立て目的地に向かって歩いたのだ。B班は、何の目的もなくたださまよい歩いただけだった。
その結果、B班の方が圧倒的に面白い劇に仕上がったという。A班は目的の場所に真っ直ぐ進んだため、途中のものがまったく目に入らなかった。それに対してB班は歩いている途中で面白いものを目にすることができたのだ。
それは「飲む前によく振るように」と書いてある牛乳を見つけたことだった。“牛乳を振る奇妙な人たちの姿”を見つけ、さらに自分たちも手にして振ってみたのだ。しかも眺めるだけでなく体験までしていた。
ここにあるのは、あまりに目的のみに縛られていると、途中にある大切な、面白い発見を見逃してしまうこともあるというありきたりな教訓かもしれない。しかし、これは忘れがちなことでもありそうだ。体験ほど説得力があるものはないだろう。
なんだか、兼行の「徒然草」ふうな書き方になってしまったみたいだ・・・な。