この世の責任や義務ときっぱり絶縁した彼らの人生・・・

森村誠一写真俳句のすすめ」森村誠一著より。
かつて筆者がホームレスの取材をしたときに、新宿西口にある中央公園で賞味期限の切れた“可食物”を囲んで酒宴をしているホームレスの一群を見つけたときのこと。
超高層ビルを背景に満開の桜の下でそのホームレスのグループがとても豪勢に見えたと言う。超高層ビルのふもとで生きている彼らの人生、も選択肢の一つだと思ったのだ。つまりそれは、この世の責任や義務ときっぱりと絶縁した人生だったのだ。
生きている限りは意識しようとしまいと、何らかの義務や責任を負わなければならない。それが嫌ならホームレスになるしかないのかもしれない。もちろん彼らも好きでホームレスになったわけではないだろう。やむをえない選択のひとつだったか。
今でもこの公園の横を夕方通ると、食事を待つ長蛇の行列を目にすることがある。青いビニールシートの家も意外に丈夫そうだ。どこからこんなに多くの人が集まってくのかと驚くほどだ。誰もが素直に静かに順番を待っているように見える。待たなければ食にありつけないからだ。そんな姿を目にするたびに、自分は恵まれた境遇にいることを痛感する。
筆者は別のページで、無責任な勇気ということばを使っていた。それは家族や仕事や責任を捨てる勇気だという。そんな勇気を発揮したのはゴーギャンだった。彼はある日突然、けっこうな職と高収入と家族を捨て、南の島に移住して画業に打ち込んだのだった。ほとんどの人はこんな無責任な勇気など持っていない。持たないほうが幸せな人生を歩めそうだからだ。
蛇足ながら、私は学生時代、この新宿中央公園に何度かスケッチをしに行ったことがある。その頃は当然ホームレスなどは住みついていなかったし、もちろんそんな言葉すらなかった。ベンチに腰掛けて当時は少なかった超高層ビルを背景に四季の樹木を描いていたものだ。時どきこの公園の近くを車で通るたびに、かつてはもっと明るくのどかな公園だったことが懐かしく思える。