何かに賭けるということは、五分五分のチャンスに賭けること。

「自分らしく生きる」の中で戸田奈津子さん(映画字幕翻訳家)が言っている言葉。
彼女は字幕の仕事ができるまでに二十年間かかったという。もちろん待ったからといってその夢が叶うという保障もなかったのだ。自分で選んだ道だからたとえその夢が叶わなくてもいいと努力をし続けたのだ。成功の確率も叶わない確率も、ともに五十パーセントだった。
あらかじめサイコロがまずいほうに転がっても大丈夫という覚悟が必要だと述べている。夢さえ叶えばいい、というような考えなら、もしまずいほうに転がったときには立ち上がれなくなってしまう。
映画が好きで、字幕の仕事がしたいと思っていた戸田さんがアルバイトの仕事をみつけて映画会社にもぐりこんだ時には30歳を過ぎていた。そして、あるとき宣伝部長の水野晴郎さんから字幕の仕事がやりたいなら、俳優の通訳をやって欲しいといわれたのだ。
しかし、それまで英語を一度も話したことがなかったというから驚きだ。強引に記者会見の通訳をやらされてひどい目にあったらしい。それはもう思い出したくもないほどだったという。ところが、通訳はひどくても映画についての知識があったために後に字幕の仕事がきたのだ。
結局映画の世界では英語だけ知っていても映画のことについて知らなければ仕事をすることは不可能だ。転機は俳優の通訳の仕事を十年ほど続けた後に訪れた。それは、フランシス・コッポラ監督の通訳をしたときに、監督の推薦があったからだ。
チャンスはこのようにして突然やってきた。1980年封切りの「地獄の黙示録」は戸田さんにとって、字幕翻訳家としてのデビューとなったのだ。よく宝くじや賭け事で一発当てたら・・・というのはほとんど自分の努力とは関係ないことだな。