想像を絶するから感動があり、常識を超えたところに「新」がある。

朝日新聞日曜版(2005.12.12付け)より。
これは「目の冒険」というコラムでデザイナーの福田繁雄氏が述べているフレーズ。
ここでは福田氏は自ら制作した2つの作品をとりあげていた。1つは鏡を利用していた。目の前にある黒い立体は意味のないオブジェに過ぎない。ところが椅子に座って左側にある大きな鏡を見ると、自分がピアノの前に座って演奏しているように見える。不思議だ。
2つ目は影を利用している。フォーク、ナイフ、スプーン848本を溶接したオブジェを作ってある。それをある場所からスポットライトをあてると、その影がモトクロスのオートバイの形になっている。物体の形に意味はないのに影には意味がある、というのも面白い。
これらの作品には、どうしてこんなものがそうなるのか、という驚きがある。常識にとらわれているうちはこんな発想もできないだろう。そこに新しさの発見があるようだ。ここまで書いてきたら、かつて画家の岡本太郎が残した名言「芸術は爆発だ」を思いだしてしまった。
芸術に限らず、斬新なものはたいてい常識を超えたところから生まれる。また、だからこそ感動もあるのだろう。やはり感動を与えるほどの新しいものを生み出すためには、爆発するほどのエネルギーが必要なのかな。