人は忘れてはならない思いを、身につける小物にこめることがある。

朝日新聞朝刊(2005.12.7付け)より。
これはスポーツ欄のコラムで編集委員の西村欣也氏が述べているフレーズだ。ここでは、巨人を自由契約になった清原選手と楽天の野村監督を引き合いに出していた。
まず、野村監督が清原のダイヤモンドのピアスに嫌悪感を示していることについて触れている。しかし、野村監督自身もダイヤモンドをあしらった200万円の眼鏡をかけることもあるという。
野村監督が高額の眼鏡をかける理由は次のことからわかる。「そう、成り金趣味や。おれのコンプレックスが、これに集約されとる。それを意識し続けることが、力になるんや。」
野村監督の場合は長嶋茂雄や巨人に対する反骨心が人生を貫いていたのだ。彼は光り物つまり貴金属に関心があることも知られている。
一方、清原のほうは、「昨年の屈辱を忘れないため。」というのがピアスをした理由のようだ。結局どちらも似たような理由かもしれない。
こんな考えはスポーツ以外のところでも通用するだろう。一般的には、一時は不本意で悔しい思いをしたものの、時間が経つにつれてそれは薄れてしまうことが多い。
しかし、時には悔しさをモノにこめて風化させないようにすることも必要なのだろう。それを見るたびに自分の意識の中で屈辱をエネルギーやパワーに変換することが出来るかもしれないからだ。
自分の場合、小物といえばそれを身につけたときに、縁起がいいとか悪いとかそんなレベルだな。もっと、思いをこめたモノがあってもいいのかもしれない・・・な。