大人になると締め切りはなくなり、締め切りを自分でつくらなければい

「なぜあの人は時間を創りだせるのか」中谷彰宏著より。
学生時代までは学校の時間割があって、テストは「いつ」と決められていた。それは人によって決められたものだ。テストのための勉強は締め切りにあわせてやっているようなものだった。入学試験も同じようなもの。
しかし、社会人になれば仕事では提出期限や納期といったものはあるが、個人(プライベート)では締め切りはない。また小説家を目指す人は文芸雑誌の新人賞などの締め切りに合わせて書いている。当然、プロの作家も締め切りに合わせて作品を完成させている。
仕事でしていることなら、否応なしに期日までに提出や完成しなければならない。考えてみれば、身の回りには多くの締め切り(期限)があるが、それらはすべて人によって決められたものばかりだ。
しかし、それらとは別に“自分なりの”締め切りを持つということも有益なものだ。自ら締切日を設定することで時間が生きてくるからだ。たとえそれが趣味であろうと。
私の知人のS氏がブログをはじめたのは、私より2,3ヶ月あとのことだった。そして、彼の口からしばしば「今日は締め日だ」という言葉が聞かれるようになったのだ。3日に1回の割合でブログを書くとノルマを決めているようだ。
その内容はありふれた日記とは違っていて、歴史、絵画、芸術とかなりアカデミックなものだ。そのためには知っていることも確認のため、改めて文献などにあたっている。日々の個人的な出来事以外のことを書き続けるのはそう簡単ではなさそうだ。私などのお気軽日記とは違っている。だから、書くのにも時間がかかるらしい。
そして、翌日会ったときには「昨夜は11時50分にギリギリで間に合った」などと話してくれるのだ。自ら作った締め切りに間に合った満足感があるのだろう。
自分で設定した締め切りなど破ったところで、誰にも文句は言われない。しかし、自分との約束(ルール)を守ることで、逆にイキイキした時間を過ごしているようにも思えてくる。