人と同じようにしていたら・・・

「文藝春秋」2005.12月号より。
誰もが何気なく口にする言葉かもしれない。これはファッションデザイナーの芦田淳氏の「人通りの少ない道」という随筆の中にあった一言。
氏の人生のことを振り返ってみると意味のある言葉でもあった。彼は8人兄弟の末っ子に育った。父は医者で子供たちは一流大学を卒業して欲しいと願っていたらしい。しかし、氏自身はあえて、大学にも行かず、好きな道を選んだのだ。すると家族中が悲しみ、兄たちからは露骨に軽蔑されたという。
厳しい選択ではあったが、好きなことに励めばよかったから、苦しいこと、辛いことにも耐えられたのだ。もしこれが、親の望むような道を選んだならきっと耐えられなかったに違いないとも述懐している。
皆と同じようによい大学を出て良い会社に就職することが、人生最高の幸せではないはず。また、有名ブランドが流行して、我も我もと飛びつくのは日本だけの現象らしい。人と違ったことで価値観を味わうことも大事なことだろう。
子供が小さい頃は「みんなが持っているから、自分も欲しい」という。その“みんな”はいったい何人のことを指すのかはあいまいなことが多い。“皆と同じ”はファッションでも安心できるかもしれないが、面白みも少ない。美輪明宏氏のことばを借りれば、「シャネルなんてのは人の名前でしょ。他人の名前が書かれたカバンとかシャツを身につけて何が嬉しいの?」とかなり手厳しい。
J.アシダのプレタポルテは海外トップブランドのシャネルなどと比べれば高額品とは思えない。しかし、国内のデザイナーものとしては決して安くはない。まあ、庶民がお気楽に身につけられるのではないことは確かだ。
いずれにしても、芦田氏はファッションデザイナーとして成功した。これも、やはり人と同じようにしていたら、そうはならなかったということだろう。