コツコツ努力していれば誰かがみていてくれるはず、なんていうのは昔

「THE21」2005.12月号より。
この号の特集は「最強の会議術」となっている。その中での樋口裕一氏の上記のフレーズが気になった。
今までは、コツコツと努力してさえいれば、誰かが見ていて認めてもらえると考えてたものだ。とくに会社などの組織の中では地道にやってさえいれば、誰かが見ているはずだった。しかし、どうやらそういう考えは過去のものになってしまったらしい。
確かに「誰か」という人は上司かも知れないが漠然とはしている。そんな人もいつまでも同じ地位に留まっているかどうかもあやふやだ。また、自分もいつどうなるかもわからないだろう。
ここでポイントは、自分は劣勢に立たされているんだという危機感を持つことだ。いまのポジションをあげるために、自分をより大きく見せる努力をしなければならない。当然それなりの力を蓄えておく必要もあるとは思うが。
プロ野球では一年契約が基本だ。そこでは自分をよりアピールして、少しでもいい条件で自分を雇ってもらわねばならない。価値がなけば翌年は契約してもらえない。長い間、同じ組織に所属しているとそんな危機感を忘れてしまいがち。
樋口氏はメジャーリーガーの長谷川滋利選手にスポット当てて、自らの発言によって自分を少しでもアピールしてポジションを上げようとしているところに好感が持てるという。
組織の中でも独自のポジションを気築くためにも、こういう仕事はあいつにしかできない、といわれ任されたらやりがいを実感できるかも。
コツコツとやっていれば、いずれチャンスはめぐってくるだろうと待っていても、それは幻想に近いのかもしれない。活躍の場は自分で切り拓くしかない。(厳しいがそれが現実のようだな。)