贈り物は、面倒くさいから心が伝わる。

「なぜあの人には気品があるのか」中谷彰宏著より。
そんなに大げさに考えなくても、誰かにちょっとしたものを差し上げるとか、粗品を何にしようかと考えることはある。
その際選ぶというのは確かに面倒で手間がかかることだ。その辺にあるものでも間に合わせることはできる。粗品程度のものなら値段は高いと相手に気を使わせてしまう。相手がもらって負担と感じたりしたら意味がない。
気軽に受け取ってもらえるもののほうがいい。考えるほど面倒になってしまいそうだ。話題になるもの、人に話したくなるもの、人に見せたくなるもの、ちょっと気の利いたもの、思い出になるもの・・・。
こんなふうに、いろいろと相手のことを考えれば、その思いは意外と伝わるものだ。そんな時間さえも自分自身が楽しめれば、心も伝わりやすくなるだろう。
以前、私は「感謝(ありがとう、うれしいなど)の賞味期限は物より言葉のほうが長続きする」と日記に書いたことがある。できれば、ちょっとした粗品も少しだけ賞味期限が長いものがいい。つまりそれは印象的であるという意味だ。
結局、そんなものを考えるのは、面倒だといえるかもしれない。しかし、そんな時間をかけたいと思うような人がどれほどいるだろうか。逆説的だが、贈りたいと思う対象が多くいるほど、自分の身近に素敵な人や感謝すべき人がいるのかもしれない・・・な。