どんな結果が出ても自分を納得させられる「正解」が欲しい。

「真っ向勝負のスローカーブ」星野信之著より。
この「正解」とは彼の別の言葉では「基準」であるという。もっといえば、ベストと思える選択をしたなら、もうそれ以上はどんな結果になろうとも諦めがつくということでもあろう。
あるときチームが3−2でリードしている9回裏二死一三塁の場面でのこと。星野はベストの選択をして投げたボールに対して投手コーチから「なぜフォークを投げなかったのか」と結果論で言われたことに対して食い下がったと言う。それは星野があらゆるケースを想定して自信をもって投げたボールだったからだ。
結果的にヒットは打たれたものの、同点止まりで最悪の逆転サヨナラ負けにはならなかった。その後延長戦でリードしてチームの勝利と言う結果は出せたのだから評価されてもいいだろう。
それ以前に投手コーチからは「正解」を示されずに結果だけで判断されたことが納得できなかったのだ。
“後悔先に立たず”ということわざもあるが、もうここまでやったのだから後悔しない、というようなプロセスを築くことも必要なのだ。
ところで、自分が納得できるまでものごと(勉強にしても仕事にしても)を、突き詰めてやる機会はどれほどあるだろうか。もし、本当に自分がこれが“正解だ”と思えることに向かってベストを尽くせたら、けっこう気持ちいいものなんだがな〜