外見がちゃんとしてない人間が中身をうんぬんできるものか。

白洲次郎の生き方」馬場啓一著より。
よく人は外見で判断してはいけないと言われる。それはそうかもしれない。
白洲は“着ているものはその人間の内部を映し出す。それが英国紳士である。”といつも考えていたようだ。
彼自身英国のケンブリッジで学び、十年間そこで生活してきたからこそ身に着いたスタイルであり、考え方なのだろう。
キッチリした服装とはおしゃれとは違う。外見が先か中身が先かと言えば、彼には絶対に外見が先だったのだ。それは紳士は服装によって判断されるという基本的な考え方を持っていたためでもある。
背広はある意味制服のようなものだ。中にはサマにならない人もいるだろう。白洲自身は何を着てもサマになっていたらしい。こんな才能をもった人はうらやましい限りだ。
よれよれの背広姿の人に何か意見されたとしたら、それだけで少しは説得力に欠けるような気さえしてくる。言葉より先に語りかけてくるものがあることも確かなようだ。服装、目の輝き、センス、声質、態度、姿勢・・・
人の振り見て我が振り直さねばな。