怒るのではなく、叱ることこれこそが老人の特権であり、かつ義務であ

白洲次郎の生き方」馬場啓一著より
つまりこれを信条としていたのが、白洲の晩年だったのだ。彼自身は軽井沢ゴルフ倶楽部で会長職にあったころ、会員の無作法を厳しく戒める怖い老人という存在だったらしい。それは彼がそれまでプリンシプルの男と呼ばれるほど、原則を貫いて厳しく生きてきたからこそそんな存在になれたのだ。
しばしば、怒ると叱るは混同しやすい。確かに周囲にただ頑固で怒りっぽい老人がいたら煙たがられるだけだろう。しかし、叱ることが理屈にあっているなら、耳を傾けざるを得ないはず。
実際、しっかり叱ることのできる一本筋のとおった大人が少なくなっているような気もする。自分を振り返ってみてもかなりいいかげんな生き方をしているから、自信をもって人に意見なんかできそうもない。
結局自分が自信を持って普段から振舞っていなければ、聞き手には納得してもらえそうもない。いいかげんなところで妥協ばかりしている大人には叱る資格もなさそうだ。
いくら頭がよくて勉強や仕事ができても、それだけじゃ人は認めてくれはしない。もちろん仕事もできなければ、アンタには言われたくないといわれるでしょうがね。
いずれにしても、叱るという行為は中途半端な大人よりも人生経験の豊富な老人のほうがよさそうかな。