エネルギーを使わないですむ読書・・・

「座右の諭吉」より
筆者は“エネルギーを使わないですむ読書からは、それだけのものしか得られない”という。
確かにすらすらと早く読めてしまうような本が増えているようですが、そんな本からは得られるものは少ないかもしれない。逆に何度も読み返したくなるような本からはその読む年代によって得られるものはたくさんありそうだ。
筆者は読書も大きく二つに分けているという。それは技にする読書と情報に触れるための読書だ。福澤もそれを意識していたらしい。技とは自分の血や肉になるような本を読むということでもあろう。また、生きる力になるような本ともいえよう。その中には繰り返し読んでみたくなるような箇所があるはず。
福澤が自分の進もうとする先のことを、単なる小手先のテクニックだけにたよるのではなく、おおらかに判断できたのは豊かな読書経験があったからだったようだ。人生の基本書と呼べるようなそんな本が自分の身近に何冊あるだろうか。
新しい情報を得る一方で、深い読書をすることで人間的な魅力も増すに違いない。