遊びに関しては、真面目でなければ絶対面白さは分からない。

「モノの値打ち 男の値打ち」より

どうせ遊びだから、という気持ちでやっていうちは本当の遊びの面白さはわからない。
若者がマジ?という言葉を吐いているのを耳にすることがある。でも、それはマジメというのとはニュアンスが異なっている。マジメに取り組むことがダサイと勘違いしているのだろう。
筆者は遊びの中にも締め切りやスリルが必要で、それがなければ隠居の暇つぶしに終わってしまうという。ちょっときつい言葉だがそうかもしれない。遊びの中にも自分なりの創造力を盛り込むことで、本物の遊びになりうるのだ。
もし、仕事と遊びの区別がつかなくなれば理想といえそうだ。学生なら勉強することが面白くてしょうがないとなればいいんでしょうが。
振り返ってみれば、独自の創意工夫で仕事に取り組めることってどれほどあったろうか。
仕事と遊びの融合ができたら、金が全く必要のない遊びだともいえそう・・・かな。