大義名分というのは形式に過ぎないとは言っても、やはり力である。

「目利きのヒミツ」より
あらかじめわかったような気にはなっているが、念のため辞書を引いてみると次のように説明されている。
たいぎ-めいぶん 【大義名分】
(1)人として、また臣民として守るべきことがら。
「―にかなう」「―を通す」
(2)何か事をするにあたっての根拠。やましくない口実。
「―が立つ」
実際、私たちが使う場合(2)のほうが多いだろう。つまり言い訳、理由づけみたいなものだ。
ちゃんとした根拠さえあれば、いろんなことはすすめやすい。場合によってはヘリクツと思われるようなこともあるかもしれない。
しかし、そんな形式的なヘリクツでもあればこそ動ける力にもなる。つまり言葉を変えれば、やる気、エネルギーともなるのだ。
たとえば、私自身は意外にも野次馬的なところがあって、子供の頃に地元のどこかで火事あると関係ないのに自転車で駆けつけたりしていたものだった。ただの興味本位だった。被災の現場に行くには本来そういう気持ちではいけないに違いない。自衛消防隊とか消防活動支援などの大義名分があればべつだが、そんなものはない。
自他共に納得できる大義名分があればスピードアップにもなる。それは何かをする際の推進力でもありえる。ちょっとパソコンで遊んでみたい、というのが本音だとすれば、ウェブ日記なんかをつけてその交流によって見聞を広めるというのもひとつの大義名分・・・かな。
それから、家庭平和維持活動のため、という大義名分があればお父さんもディズニーリゾートやUSJにも行きやすい?でも、本来はもっと大きなことをいうのかもしれない。