プロ野球で打線は水もの、計算はできない。

「目利きのヒミツ」より

どちらかといえば、バッターに比べればピッチャーはある程度計算が出来るという。ピッチャーの出来さえよければ、強打者もそう簡単には打てるものではないからだろう。
先攻、後攻ということでいえば、打っている側が攻めていることになっている。それによって得点が入れば勝ちにつながる。しかし、実際にその場面で攻めているのはピッチャーのほうなのだ。
ピッチャーは頭で計算をして打者を牛耳ろうとする。しかも、すぐには投げずにじらしたりもできる。どんな球を投げようが主導権は打者より投手にある。ピッチャーはじぶんのタイミングで投げ込んでくる。打者は来たボールを打つだけだから受身だ。投げてもらわなければ、試合ははじまらないし、打つこともできない。
3割打てば強打者といわれるものの、7割は失敗していることになる。いくら3割といっても、いいところで打たなくては意味がない。ヒットを打ってもその後が続かなければ得点には結びつかない。また、ほとんど大差で試合が決まった後で打っても意味がないことになる。
打者はピッチャーが投げた球を勘を働かせてう打ちにいく。その勘は直感、動物的な勘で、それが強かったのが長嶋さんの現役時代なのだろう。
そこで、筆者の赤瀬川氏は「ピッチャーは経済界の人で、バッターというのは歌舞音曲的な芸術家なのかもしれない。」といっている。
しかし、ピッチャー、バッターを計算ができる、できないなどから経済界、芸術家まで持ち出すとはかなりスゴイたとえでもあるな。こんな発想ができること自体、筆者が芸術家でもある証拠かも・・・