やっぱり身銭を切らないと物は見えてこない。

「目利きのヒミツ」赤瀬川原平著より

まず、目利きというとすぐに思い出してしまうのが、TV「開運!何でも鑑定団」だ。そこに出てくる先生方は書画骨董から最近の雑貨までお宝といわれるものをなんでも鑑定してくれる。つまり目利きのプロである。
別に高価なものでなければ、私たちは日常的にいろいろなものをいいのか、悪いのか、価値のあるなしなどのを判断している。あの人とは気が合いそうだとか、相性が合わないなど。また、多くの人との交流をもつことで人を見る目も養われるともいえそうだ。
まあ、それはともかくとして、物を見る(判断する)場合、それなりに経験は必要だが、そのためにはそこそこの授業料も必要なのだ。
私の知り合いに絵画を見る目を持っている人がいる。彼の評価はプロ並みでもある。それは彼自身が30年以上にわたって身銭を切って絵画をコレクションしてきたらに違いない。美術館や画廊で鑑賞するだけでなく、買うことで学ぶことができるものも多い。
だから、その対象に対して10万円費やした人と、1000万円費やした人ではモノの見え方が違ってくるだろう。もっとも、ただお金をムダに費やしても意味がないが。
しょせん、タダでお気軽に学んだものはそれなりのものだ。時間と費用を費やした人には真剣さでかなわない。
関連したことがらで、筆者は「勘というものはタダで身につくものではない」ともいっている。やはり勘というものも、身銭を切ってはじめて鋭くなるものだろう。
身銭をきるからこそ真剣になれるとも言えるかな。ムダに年をとってもいけなし、ムダにお金をつかってもいけないか・・・でも、それがなかなか・・・