ちゃんと口がまわっていないのに存在感のある役者。

「ぶさいくに生きて、そこそこ幸せをつかむ法」より
この本のタイトルを眺めたとき、ずいぶんと長ったらしいなという印象だった。しかも、これをちゃんと読めるなら口がまわっているともいえるのだろうか。
さて、筆者は小さいときからしゃべる訓練、滑舌中心にけいこをしてきたという。つまり滑舌のよさで勝負してきた役者だったという意味になる。
ところがあるとき、ちゃんと口がまわっていないのに、存在感のある役者を見たとき、滑舌はたいして意味のないことだと感じたらしい。
発声や滑舌、ましてやアニメや洋画に声を吹き替える技術などいつだって訓練できるものだという。もっと大事なことは、いろいろな人、物、事柄に興味をもってひとつのことに集中する心だと強調している。
彼女は「声優になりたい」という手紙をしばしばもらうらしい。それらの返事には「今は勉強、クラブ活動、恋愛、スポーツ、遊び、すべてに一生懸命に毎日を暮らして下さい」というふうなことを書いているという。俳優にとって一番大切なものは、好奇心と集中力なのだ。べつに、俳優でなくとも、充実した日々の生活や内容のある仕事をこなそうとすれば同様のことがいえそうだ。
タイトルの「ちゃんと口がまわっていないのに存在感のある役者」は単なる表面的な技術なじゃいよ、生きざまこそが表ににじみ出てくるものだ、といっているようでもある。そこでやっかいなのは、存在感は努力ではおぎなえるものではないらしいことだ。
まあ、それはともかく、本物への道は一朝一夕、インスタント、スピード〜などという言葉からはほど遠いな・・・・