「意味」は辞書の中にあるのではけっしてありません。

「人を動かす!話す技術」杉田敏著より

杉田氏といえば1987年からNHKラジオの「ビジネス英会話」で長年にわたって講師を務めている人だ。かつて私もこの放送を楽しんだことがある。
しかし、彼の本業はPR会社で副社長をしている。

そんな氏がニューヨークの街を歩いていたとき、NAILSというサイン(看板)をあちこちに見かけたのだ。そのとき、釘や鋲を連想して金物屋さんが多いのかと思ったという。しかし、その後「つめ」の意味でもあることを思い出し、マニキュアを塗る店だと気がつき苦笑したらしい。

つまり、NAILという語を見て、どちらの意味を最初に思い浮かべるかは、性別や職業、年代によっても違ってくるというものだ。要するに「意味」はその言葉を使う人とそれを受け取る人の頭の中に存在している、ということだった。

かつて私が「鳥肌が立つ」は感動したときに使うのはおかしい、と述べたことがあります。実際、辞書には“寒いとき、恐ろしいときなど”と説明されています。ところが、読書、映画鑑賞、旅先の風景などで実際に“鳥肌が立った”人がいるのですから、辞書の説明だけでは充分ではないようにも思えてきたのです。
こんなことも、「意味」は辞書の中にあるのではない、を表しているようですね。真の意味は生活の中にこそあるのかな。