原則として形容詞の多用は文意をアイマイにするから慎んだ方がよい。

「異文化摩擦の根っこ」板坂元著より
何かを書いたり話したりするとき、ついつい大まかに大きい、安い、冷たい、熱いなどという形容詞をつかってしまうもの。しかし、それでは漠然としていて本当のところはよくわからない。
たとえば、比較できる何かを例にだすと随分とわかりやすくなる。たとえば、牛くらいの大きさ、や野球場くらいの広さなどはいいかもしれない。
ときどき東京ドーム何個分の広さという表現を目にすることがあるが、実際行ってみなければその大きさは想像がつかないかもしれない。でもなんとなくわかったような気にもなってしまう。そんなものでも、ただ大きいというよりはまだましなように思えてくる。
著者によれば英語には形容詞をできるだけ数量化する努力があってそれがアイマイさを少なくしているという。たしかに英語はイエスとノーの世界だから、アイマイな笑いはしばしば誤解をまねくというのもううなずける。