苦労しないと喜びは得られない。

苦労しないと喜びは得られない。
「運命の3分で成功する」中谷彰宏著より。
この言葉を見て思いだしたのは、上達も同じことだと思えたことだ。もし簡単に上達してしまうようなことなら、嬉しさもそれほど感じないだろうからだ。それはあまりにも簡単に数学の問題が解けてしまうのとも似ている。
練習を重ねたあとで、目標としていたとことに到達できれば、嬉しさもひとしおだろう。本当の喜びは苦労のあとにやってくるものだと思えた次第だ。
ここでは、簡単に巡り会ったものは、あまりうれしくないともあった。そこで、手に入れるプロセスが面倒くさければ面倒くさいほど手に入れた時の嬉しさは大きくなるようだ。それは頷ける。やはり地味なことの繰り返しが本当の喜びになるということだろう。

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才能は、ラクをするためでなく、苦労するためにある。
「運命の3分で成功する」中谷彰宏著より。
一見才能さえあれば、その分野ではラクそうに思える。しかし、そうではないようだ。実際は、その才能であなたは苦労してくださいという意味だったのだ。
例えば、子供の頃から野球の才能がある人は、それでラクかといえば、同じような才能のある人たちの中では、それほど目立たない。そこで、本当に抜きんでるためには、さらにその才能で苦労しなければないないのだ。むしろ真剣勝負で、厳しい世界だといえる。
苦労に耐えられるのは、それでもやっていけると思える才能があるからだろう。
中谷氏は、イチロー選手に対しては次のように考えていた。彼は野球を通して世の中の人たちに、勇気・元気・希望を与えている。そのために苦労する義務を背負っている、と。イチロー選手は一般の人が味わわないような苦労を味わっているということだった。

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川を奪い合うよりも、井戸を掘るのが、マーケティングだ。
「運命の3分で成功する」中谷彰宏著より。
流れには、地表を流れる川と地中を流れる川があるという。井戸は地中を流れる川だった。誰でも、水を求めるために地表にある川を目指して進んでいる。しかし、むしろ探すべきは川より井戸だったのだ。
表面では気がつかないところのものに気づくことが大事だという意味のようだ。誰もが見えそうで、見ていないところにビジネスチャンスはあるのだ。
井戸は油田といっても同じことだろう。誰もどこにその油田があるか気がつかないでいるものだ。ごくごく一部の例外的な人だけにそれはわかるのだろう。
ここでの結論は、「川を奪い合うより、井戸を掘ろう」だった。念頭に置いておきたい言葉だ。

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人のいいことが、サービス力があるとは限らない。
「運命の3分で成功する」中谷彰宏著より。
いい人が必ずしもサービス精神があるとは言えないようだ。サービスは人から言われてやったのでは遅すぎる。人が気がつく前にやるのがサービスだろう。
常に自分で先を読んで、ちょっとしたひと工夫ができるかどうかでもあるものだ。人と同じことをやってもまったく新鮮味もない。また同じようなことでは嬉しさも感じられないだろう。
人から何かを聞かれて、懸命に考えるあまり黙り込んでしまったら、サービス力は低下するばかりだ。むしろ、話をしながら考えることも必要だった。
筆者はかつてラジオの仕事をしていたという。そこでは、黙っていることが放送事故になるという。確かにリスナーからすれば沈黙は、事故に思えるものだ。