視覚情報は文字情報にくらべて、一瞬で圧倒的なリアリティを感じさせ

「テレビは見てはいけない」苫米地英人著より。
ここでは文字の代表としての小説と視覚の情報としての映画やドラマ、アニメなどを取り上げていた。たとえば書籍で100万部と言えば大ベストセラーになる。
ところがテレビドラマやアニメの大ヒット作品では1000万単位の人が目にすることになるのだった。たとえ、1パーセントといっても120万人とすごい人数になる。
つまり映像メディアが膨大な視聴者を生み出しやすいのは、それが「視覚情報」だったからだった。文字は読まなくてはその内容がわからない。しかし、映像はストレートに伝わってくる。
しかも説明はなくても理解できることが多い。またスピード感もある。ことわざの通り、百聞は一見に如かずというのとも似ている。新聞の情報よりテレビの映像は迫力も伝わりやすいものだ。

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いまの世の中では、テレビが最高の洗脳装置・・・
「テレビは見てはいけない」苫米地英人著より。
最高の洗脳装置という表現も実に気になる。その一例として、テレビによく出る政治家が当選しやすいことを取りあげていた。
選挙ではテレビにタレントとして出演していた人がしばしば当選する確立が高い。しかも当選する場合はかなりの大差で買ってしまう。
テレビに出ているということだけで視聴者は自然と好意を抱くようだ。、芸人、作家、スポーツ選手を利用するのは、やはり知名度がモノを言うからでもあるからだろう。
逆にいえばテレビというメディアをうまく使った候補者が当選しやすいということになる。とくに全国区で当選しようと思う場合は、テレビに出る回数を増やすという戦力にでるのだろう。

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どの民放チャンネルも、お笑い番組やクイズ番組が花盛り・・・
「テレビは見てはいけない」苫米地英人著より。
その理由は番組制作費のコストが安くて済むからだったのだ。お笑い番組の制作費は、通常のドラマやドキュメンタリーの3分の1、4分の1だという。
というもの、お笑い番組に登場する若手芸人たちは、テレビに出たい人の集まりだったのだ。だから、ギャラがどれほど安くても、喜んで出演するようだ。
テレビに出たがる若手芸人はいくらでもいるというのはわかる。彼らはある意味ギャラよりもテレビ出演を優先しているともいえる。
お笑い番組は200万円でも制作可能らしい。安かろう悪かろうでは困るが。しかし、そこにはテレビ局をつくるのにかかった社会的コストは含まれていないことも筆者は指摘していた。
つまり国民がテレビ局に投資してきたお金や、広告費として支払われてきた金額は膨大なものになっているということだった。お笑いの1時間番組でも二億円のコストが費やされている可能性もあるらしい。
だからこそ、制作費が安いからといって安直な番組をつくりつづけることを問題視していたのだ。本当に見る価値ある番組は意外と少ないのかもしれないな。