足し算的な人生はここまで足せばOKというゴールはない。

「努力しない生き方」桜井章一著より。
この本自体が、実にシンプルで気に入った題名だったのでちょっと気になり手に取った次第。そのはじめの部分にあったのが上記フレーズだった。
振り返ってみれば自分もさまざまなものを足し算で考え生きてきたように思える。少しでもうまくいきたい、幸せに過ごしたい、お金も増やしたい、仕事で評価されたいなどもそうだろう。
実際そう考えたとしてもなかなか思うようにはいかないものだ。足し算的なことばかり考えていると身の回りのことも見えにくくなってしまいそうだ。グルメ志向だといって、美味しいものを求めてばかりいると、減量のために今度はダイエットが必要だと思ったりもするのだろう。そのためにわざわざスポーツクラブに行く人も多いようだ。
筆者は、「努力する」「求める」「頑張る」「つくる」などの足し算的行為は、常識的にはプラスの評価を受けるべきなのに、必ずしもそうなっていないことも多いと指摘していた。
氏は自信の経験から麻雀で20年間無敗だったのは、勝負にのぞむとき足し算的な発想や行動ななかったからだと振り返っている。いつも力を抜いて工夫を重ねていたのだ。むしろ引き算的な発想こそがポイントだと述べている。

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「工夫」があれば何事も楽しくできる。
「努力しない生き方」桜井章一著より。
桜井氏はこれまでの人生を振り返って、「努力した」という記憶がないという。麻雀も「頑張った」という思いはないらしい。うまくなったのは努力ではないと語っている。
むしろ思っていたのは、これをくいうふうにすれば面白い、こうやれば上手くいくんだなという感覚だったのだ。歯を食いしばるというのとはまったく違っていた。
麻雀以外のことでも何でも、そこにあったのは「努力」ではなく「工夫」だったと分析している。確かに自ら進んでする仕事なら工夫をすること自体が楽しくも感じられる。
しかも、その工夫した結果望む成果が出た時ほど満足感は大きいものだ。桜井氏は自分がどこまで可能性をもっているか試してやろうと挑むような気持ちで向かっていったという。
それはむしろ遊びのような感覚だったらしい。仕事でもスムーズに進めるコツはいかに力を入れないかだったのだ。不自然な力が入っていると思ったら、やはり疑うべきなのだろう。

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体が柔らかければ心もおのずと柔らかくなるもの。
「努力しない生き方」桜井章一著より。
時どき無意識に人に向かって「頑張って!」という言葉をいうことはある。もともと気持ちが硬くなっている人にその言葉を言ってもムダなようだ。何でもかんでも頑張ろうというのはかえってマイナスらしい。
頑張りすぎるとむしろ心がギュッと硬くなっていってしまうらしい。体も心もいつも柔軟であるという状態が望ましいようだ。とくに優れたスポーツ選手ほど体は柔らかいという。
体が柔らかければ、体全体を使うような動きになり、一部分だけに負担はかからないようだ。体全体を使うことで、大きな力も発揮できるのだった。
そういえば、庭の樹木を見ていて思い出したのは竹の強靭さだった。台風が来たときに、他の樹木は折れたり倒れてりするが、竹は曲がってもまた元通りの姿で立っている。
頑張り過ぎれば、心も体も折れてしまうのだろうな。気をつけねば。といっても、今は頑張るほどのことはなにもしていないか。まあそれはそれでいいのかもしれないが・・・。