「普通のサラリーマン人生」というのが、猛烈な勢いで縮小していって

「年収300万円時代を生き抜く経済学」森永卓郎著より。
かつてベストセラーになった本をたまたまブックオフで見かけたので読んでみた。この本の帯には“弱肉強食時代を生き抜く生活防衛術”とあった。ちょっと参考になりそうだと思った次第。
136ページにはつぎのようにあった。「いまやすでに、大学や高校を卒業したあと、新卒で就職して、一つの会社に3年続けて勤務する人は、統計上でも4割を切っているのだ」と。
ということは6割以上の人が3年以内に辞めてしまうのだろうか。ちょっと驚きだった。いったん就職したら、一つの会社または組織に数10年にわたって勤務するのがかつては「普通のサラリーマン人生」だと思っていたものだ。
正社員の雇用機会が縮小して、パート、派遣社員、アルバイト、フリーターなどが増えていくということだった。今後はこのような労働形態の人がもっと増えていくようだ。
ということは、もし新卒で就職して定年まで同じ会社で勤められればラキーな方だろうか。あるいは、ほかにこれといって能力もなく、ほかに移ることができずに、長年そこに留まっていたということも言えそうだが。
正社員になれなかったといっても、それが必ずしも「負け組」とは言えないと森永氏は指摘していた。それは従来の働き方とは違った新しい価値観を築いていく可能性もあるからだった。

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年収階層の差がそのまま子供の学力差となる。
「年収300万円時代を生き抜く経済学」森永卓郎著より。
かなり刺激的なセンテンスがあった。それは「金持ちが再生産される仕掛けは、すでに確実に作られている」とあったからだ。その役割を果たすのが教育だった。
今では普通の公立中学、公立高校から東大をはじめとする一流銘柄の大学に入ることは非常に困難になっているという。ということは、金持ちの層は費用がかかっても子供を私立に入れたがっている。
実際幼稚園、小学校の段階からエリート層と非エリート層に分かれていた。有名大学への進学実績のある中学、高校へは幼いころからの塾通いが当然らしい。
つまり膨大な費用がかかるということは、親の経済力が必要になってくる。年収の差が、子供の学力の差にもなって現れるというのは、なんとも悲しい現実でもあるな。

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結局、サラリーマンにとって何が売り物になるのか。
「年収300万円時代を生き抜く経済学」森永卓郎著より。
たとえ、景気が回復したとしても、企業は以前のように正社員を採用しないそうだ。また正社員になったとしても、会社組織の中では、専門性を身につけたプロとなるのは難しい。
もし、転職を繰り返して補助的な仕事ばかりしている場合は、キャリアはまったく身につかないのだった。必要なのは積み上げてきたキャリアだった。
たとえば、「経理のプロ」「苦情処理のプロ」「総会屋対策のプロ」・・・など何でも、自分ならではといえる、売り物を身につけるもとがキャリアだったのだ。
営業ならどんなものでも売る自信があるというのも、すごいことだ。しかし、こんな売り物がある人はどこでも採用してくれるのだろうな。キャリアを磨くためには、自分から率先して希望部署への異動の自己申告をするのも必要なことだった。
売り物を特技と言い換えてもいいのかもしれない。誰にでもできそうもないことができる能力があれば、それを必要としてくれる会社さえ見つかればより活躍できそうだが。

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自分ならどんな分野を陣地とするか。
朝日新聞「仕事力」コラムより。
これは「海堂尊が語る仕事」と題してあった第二回目のなかのワンフレーズだった。医学博士で作家でもある氏は今、Ai(死亡時画像診断)の普及を仕事としていた。これは死亡原因を究明するための手段ともなっていた。
しかし、その分野はまだまだ普及していないということから、氏が自分の領域として取り組んできていた。はじめはなかなか周囲の理解も得られなかったようだが、次第に社会的ニーズがあることも実感として確認できたようだ。
そこで、自分ならどんな分野を陣地とするかが大事なことだと述べている。一般の仕事にも言えることだった。地味で目立たなくてもいいのだった。自分が守るべきだという場所にピケを張るとも表現していた。
ある意味、ほかの人より詳しい仕事の領域、自分ならではの仕事をさらに深く掘り下げていくという感じだろうか。これについては、彼に聞いてみればわかるはず、と言われるだけでもすごいと思える。
中には反発する人もいるようだが、自分にしかできない大切なことをやっているという確信があれば、自分を奮い立たせてくれるようだ。やはり熱意はいつしか人に伝わるのだろうな。

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「このことなら私がベスト」と言えれば何事にも強い。
朝日新聞「仕事力」コラムより。
これも同じく、海堂尊氏のコラムの3回目からのフレーズだった。Ai(死亡時画像診断)の推進者として走っているとき、これを阻む空気があったという。
その頃それに関する入門書を書いたのだった。まじめで詳しく良い内容だと自負したものの、売れなかったようだ。ニーズがあっても反発する人も多いようだ。
そこで、多くの人にわかってもらうためにはミステリーでAiを扱えばいいと思ったものの、なかなかアイデアが浮かばなかったという。しかし、あるトリックを思いつくと筆が進んだと振り返っている。
しかし300枚を書き上げたあとで、行き詰ってしまって、放り投げていたのだ。ところが、ある人物を投入すれば物語が動くと思って完成したミステリーを応募したのだった。
その小説「チームバチスタの栄光」が大賞となって、作家としても多忙になっていった。医療の現場からは小説は虚業でもあったのだ。ある意味異端児でもあったという。しかし、それでも自分がベストと思えればいいと考えているようだ。

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