プレゼントは、ものを贈ることではなく、時間を贈ること・・・

「忘れられない君のプレゼント」中谷彰宏著より。
人にプレゼントを考えるのは楽しいが、また同時に大変だと思うことがある。いったいどんなモノにしたらいいか、こんなこのではダメだろうかなどと考えてしまう。
迷っているうちに、かなりの時間を費やしてしまうこともある。中谷氏はプレゼントを贈るというのは、プレゼントを探すという作業で、四葉のクローバーを探す作業だともいう。
そうそう簡単には四葉のクローバーは見つからない。それだけ、相手にぴったり(心から喜ばれる)のプレゼントは難しいということだろう。
贈られた側は、そのプレゼントを見るたびに、相手のことを思い出すものが。その賞味期限が長いほど、お互いの嬉しさは大きいのではないだろうか・・・

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プレゼントは、手品と同じ。
「忘れられない君のプレゼント」中谷彰宏著より。
それはどういうことかと言えば、いつも新しい手で、「あっ」と言わせる、ことが楽しいからだった。それは渡し方にもよるかもしれない。
ここには、面白い例があった。ジャケットをプレゼントして、そのポケットに封筒を入れておく。封筒の中からは航空券が出てくるというものだった。
また、バッグをプレゼントしてその中に詰められた新聞紙の中から腕時計が見つかるというもので、それを後から気づかせるというものだった。
つまり、センスのいいプレゼントは2段階になっているともいう。ちょっとた工夫をすることができれば、サプライズにもつながるということだろう。
そのめんどうくささを楽しめるかどうかが、ポイントになってくるようだ。ただ単に買ったモノを渡せばいいや、と思っているうちはプレゼントを楽しめないかな。

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センスのいいプレゼントは、これに見よがしではない。
「忘れられない君のプレゼント」中谷彰宏著より。
もし大き過ぎるモノをプレゼントされたりすると迷惑を感じるのではいだろうか。引き出物がその例だった。大きくて重たいものは持ち帰るのに困るものだ。
大きくてかさばり、重たいだけで、その中身がどんなによくても、もうセンスがある贈りものとは言えそうもない。相手のことを考えていないからだろう。
また後に残るものを贈りたいというのは、贈り手の自己満足だというが、確かにそうかもしれない。後に残らなくても、思い出に残ればいいということだった。
お金や商品券以外で、心のなかに飾れる贈りものができるかどうかがポイントだった。そう考えると、やはりそう簡単には贈りものは選べないかも。

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プレゼントを贈る相手がいるのも、幸せだ。
「忘れられない君のプレゼント」中谷彰宏著より。
ここでのタイトルは“今あげたい人がいなくても、プレゼントを買うと、あげたい人が現れる”、となっていた。これを目にした時、自分がよかったと思ったものを人にあげたことを思い出した。
先月、友人二人と暑気払いをやった時だった。その数日前に、水に浸すとしっとりとするハンカチを自分で買って試したらそれがよかったのでお土産に用意した。
二人とも、そのハンカチが気にはなっていて欲しいと思っていたようだった。まだ購入前だったので喜んでもらえた。こんなタイムリーなちょっとしたプレゼント、粗品はいいかもと思った次第。
やはり、自分が使ってみて本当にいいと実感したものを贈れば間違いは少ないかもしれない。いいものが見つかったら、これをあの人にあげたら喜んでもらえそうだ、と想像するのもまた楽しいことだな。

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