会社員かもしれないが社会人とは言えない・・・

朝日新聞」2010.3.14付けより。
“朝日求人”というインタビュー記事の中で、押井守さん(映画監督)が語っているなかでのワンフレーズだった。押井さんは「厳密に言えば、所帯を持って家を建て、休まず会社に通っていたとしても、・・・」という言葉のあとで上記のように述べていた。
こんなフレーズがちょっと気になったのは、たまたま数日前にサントリーBOSSの缶コーヒーの宣伝コピーの「大人になれば、大人になれると思ってた」というフレーズを取り上げて触れていたからだった。
ただ年齢が二十歳に達したからといって、ほんとうの意味ではまだまだ子どもだったりするもの。ある意味身体は成長してすっかり大人だったりすることもあるが。似たようなことは社会人という意味でも言えそうだ。
さて、押井さんはどんな人を社会人と言っているかといえば、「自分のスキルで世間を渡っていくことができるようになった人」をそう呼ぶのだと語っていた。これは彼自身が仕事を通じて感じたことなのだろう。
私は社会人とは、そこそこの自信を持ちながら家庭のことや仕事をできるようになった人とも解釈したいと思っているが。やはり学生生活を終えて仕事の世界に入ったからといっても、単純に社会人だとは言えないかもしれないな。

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個性の前に必要なのはスキル。

朝日新聞」2010.3.14付けより。
(前日のつづき)
押井さんのいうスキルとはいったいどんなものだろうか。彼は次のようにも言ってる。「さまざまな学校でスキルを身につけるのではなく、仕事の現場に出てこいと言いたい」。
つまりスキルが必要だとはいっても、単なる学問としてのスキルではなく、実際に現場で使えるような自信というようなものを指しているのだろう。
しばしば子どものころから、「個性を伸ばそう」と言われ続けて育てられてくると、自分だけは特別かもしれないと勘違いしやすい。
ところが、社会に出ると「個性だなんという前に、当たり前のこともできないのか、と理不尽な現実に突き当ります」と押井さんは指摘している。
そんなことは十分ありえるだろう。だからこそ、個性の前に必要なのはスキルだと述べている。それは社会生活を営むために最低限必要な基本的なこと(=当たり前のこと)という意味かもしれない。
もっと簡単に言えば、「いくらカッコイイこと言ったって、結局基本ができてなけりゃね」とか場合によっては「それなりの成果がともなわなければね〜」っていうことなんだろうな。
さらに欲をいえば、その仕事にやりがいを感じるか、また楽しめるか、仕事を通じてだ誰かを喜ばせられるか、などがあればいいんだがな〜


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自分の旬で勝負することを、“最大瞬間風速方式”と呼んでいる。
齋藤孝の企画塾」齋藤孝著より。
春は特に風が強い日が多い。そんな中でも、急に突風が吹いていくると、家の庭にる何かが倒れるのではないかと不安になったりもする。しかし、企画を練っている場合なら、いい意味でそれを旬とらえるのがコツのようだ。
つまり今の自分がノッている状態なら、その勢いを利用するというのもいいようだ。すると他人も説得しやすいということになるのだろう。もし営業なら、成績のいい時に意見を具申してみれば、意外に聞いてくれるかもしれない。
逆の表現をすれば、自分の中で盛り上がってないものを企画として出しても、相手の理解を得るのは難しいだろう。また、成績が落ち込んでいる時なら、せっかくのいい意見も説得力がなくなるかもしれないな。
齋藤氏は「“何をやりたいのか?”と聞かれたとき、“これをやりたい!”とはっきり言えるような、少し偏ったパッションが企画のなかに息づいていることが大切」と述べている。
実にごもっともだと思えた次第。実際気分もノッているときはそうそう長く続かない。「あとで」なんて思ったら、気持ちも覚めてしまうものだ。思い立ったら吉日で、最大瞬間風速を利用したいものだな。


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いい企画とは最初にある程度、意表をつくもの・・・

齋藤孝の企画塾」齋藤孝著より。
この言葉のあとには「かつそれが出てくると、“なぜ、今までこれがなかったのだろう?”と思わせるもの」だと述べている。
世の中でウケているもの、ロングセラーになっているものは、たいていそれが当てはまると言えそうだ。たとえば今やケータイ(電話)はほとんどの人にとって必需品になっている。これからもどんどん進化しているのだろう。
ニンテンドーのWiiがヒットしているのは、ゲームを自宅で体感できるとか、更にはそれ健康を目指そうなどのソフトをたくさん開発し続けているかではないだろうか。
ゲームをやりながら健康になる、ということ自体かなり意表をついていることに思える。健康のためにわざわざ味気ない運動をやっても続かないもの。確かに楽しみながらのほうがいいに決まっている。
庶民の健康志向とゲームとの組み合わせは、今後もどんどん開発されていくのだろうな。いま使っているケータイだって、当初はそこから情報を得たり、メールでやり取りがメインになるとは思ってなかったし・・・。結果的に知らず知らずのうちにかなり意表をついた便利なモノに変わっていたな。