パソコン操作が一番よいリハビリになるのでは、・・・

朝日新聞」2010.1.30付けより。
生活面の“男のひといき”というコーナーの投書で目にしたフレーズだった。この投書をされたのはMさん(54歳)で、4年前に(何らかの病気かケガで入院していたが)病院を退院された直後からブログを書きはじめたという。
当時は左手の指が思うように動かず、一つを書くのに4,5時間かかったという。それは、パソコンの操作が一番のリハビリになると感じたからのようだ。しかし実に根気のいる作業であったことが想像される。
書いているうちにさまざまな病気を抱えた方々との交流で、同じように苦しんでいる人がいることを知って、仲間が増えたと語る。この交流を通じてお互いに励ましあうこともできたようだ。
今では、以前と変わらないくらいに回復したようだ。そして、数日前にはブログも1千回に達したという。これはきっと大きな自信につながることだろう。ノートに綴る日記と違って交流があり、励まされるところがブログのメリットかも知れない。
指先の回復とともに、国内外にブログ仲間は数えきれないほど増えたと喜んでいる。また、ブログを書かない日にも「どうしてますか」などとコメントが入り、そんな仲間には感謝しているところが素晴らしいと感じた次第。

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感受性の散歩を満喫・・・

朝日新聞」2010.1.30付けより。
作家の落合恵子さんの連載エッセイからのワンフレーズだった。この日のタイトルは“やわらかな時間”となていた。いったいどんな時間を過ごしたのだろう・・・。どこの場所とは書かれていないが、「寒椿が紅色の花を点々と落とす海沿いの道〜」という記述がある。
仕事で出かけた空き時間にそこを歩いていいると高齢の女性とすれ違ったのだ。手ぬぐいで頬かむりをして、両手に泥つきの大根をぶら下げていたという。
そして、すれ違いざま「こんにちは」と声をかけられ、落合さんも慌てて「こんにちは」と返答したそうだ。そして、あの大根はどう調理されるのだろうかなどと勝手な想像をめぐらしている。
さらに進んでいくと、今度はランドセルを背負った男の子たちとすれ違ったのだ。何がおかしいのか、弾けたように笑い肩をぶつけあっていると表現している。
そこからは無邪気な子供たちの元気で明るい様子が伝わってくる。そんなこともたちも、あと10年もしないうちに、海のない遠い街でここでの会話を懐かしむ子もいることだろう、というようなことまで想像してる。
その後夕方になったらしく、次のように書かれていた。「空に薄くかかる雲の輪郭が金色に縁取りされて、輝きだした。もうすぐ夕焼けの時間だ。なんだかとても丁寧な時間を贈られたような・・・」さすがに作家らしく、実に抒情的な表現だと思った次第。
そして、最後のワンセンテンスのなかに、上記に上げたフレーズが含まれていた。“「御馳走さま!」と言いたくなるよな、柔らかで懐かしい時間の中で、感受性の散歩を満喫させてもらった。”と。なんだかあわただしい日々を過ごしていると、こんな表現が新鮮に思えくるな・・・

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根拠のない自信を持てるか。
「企画脳」秋元康著より。
筆者は“必勝法がないにもかかわらず、「自分はジャンケンに弱い」と尻込みするような人間は、発想・企画力で他人に勝つことはできない。”と語る。これは自身の経験から出てきた言葉だろう。
つまり、どうやって人より前に出て、企画を売り込んでいくか、どうやってコンペを勝ち進んでいくかと考えた場合、必要とされるのが、この「根拠のない自信」だったのだ。
ジャンケンに必勝法がないとすれば、ある意味「気迫」「運」「勢い」だけともいえそうだ。自分は強いんだという、思い込みをまず持ってしまうことがポイントらしい。自己暗示とも捉えられる。
マイナスのイメージはすぐに思い浮かびやすいものだ。できれば、根拠のある自信を持ちたいものだが、何の根拠がなくても「オレは負けるわけがない」と思うことも時には有益になるものらしい・・・。

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カルピスの原液ができれば、時代に合わせてさまざまな飲み物がつくれる。

「企画脳」秋元康著より。

秋元氏はよく、スタッフに「カルピスの原液をつくれ」といっているそうだ。それは要するにいろいろなものに応用のできる骨太でパワーのある企画という意味もあったのだ。それを「原液」と表現している。
瓶に入っているカルピスの原液は、その後「カルピスソーダ」にもなり、薄めずにそのまま飲める、自販機でも買える「カルピスウォーター」にもなっている。さらには、さまざまなフルーツカルピスも登場している。もともとは、それらはカルピスの「原液」が元になって作られていいるものだった。
コンテンツや企画自体に価値があれば、アナログだろうがハイテクだろうが、メディアは選ぶことができる。パソコン自体はツールや手段であってそれを使って何ができるかが問題だったのだ。コンテンツがなければどんな素晴らしいソフトやハードがあっても役には立たない。そこで、自分のことを振り返ってみた。もしかしたらそうかもしれないと思うものがあった。
それは“オリジナル一筆箋”だった。約15年前のことになるが、時どき仕事で一筆箋を使っていたが、気に入るデザインのものが見つからなかった。そこで、パソコンで作り始めたのが始まりだった。数週間遊びながら作っている間に、数十種類のテンプレートが出来上がったのだ。その後はいくらでも応用でオリジナルなものを作ることができ、自分で使うばかりでなく周囲の人にもプレゼントできている。
それは実用ばかりではなく、作ること自体がおもしろいから続いているのだった。根底には、ちょっとしたサプライズを演出したいというような、エンターテイメント感覚があるということも確かだが。