幸福な人生を送るコツは、ほどほどに働いて、そこそこにいきること・

朝日新聞」2009.1.10付けより。
“私の視点”というコラムの中で、経済アナリストの森永卓郎氏が語っていた中にあったもの。ここでのタイトルは「今年の家計、嵐の時代、乗り切ろう」となっていた。
今のところ雇用不安が深刻な問題になっている。この先の経済が実に不透明で、それが消費者心理に大きく影響しているようだ。やはりちょっとした不安材料があるだけでも買い控えが起きてしまう。
筆者は、幸せな人生を送るコツはタイトルのフレーズにもあげた、「ほどほどに働く」とはどういうことだろうか。それは人によってさまざまだろう。自分だったら、健康を害しない程度に無理しないとかだろうか。
また「そこそこに生きる」とはどういうことだろうか。せいぜい贅沢をしなければ生きていける程度だろうか。しかし、そんな「ほどほど」「そこそこ」さえも難しくなってきている。
森永氏は庶民が生活防衛のために今できることは、せいぜい節約程度だと述べている。とはいっても、節約ばかりいつまで続けられることだろう。結局、政府や日銀が動いてくれない限り、「ほどほど」も「そこそこ」も戻ってこないような気がするな・・・

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「アラ還」が欲しがられる理由。
朝日新聞」土曜判2009.1.10付けより。
もし耳でアラカンと聞いてもピンとこなかったかもしれない。しかし、文字にすれば、アラフォーの連想からアラウンド還暦=60歳前後とわかる。アラシックスよりはかなり言いやすい。
ここでは、つまり団塊世代の“女性”のことだった。表題には「団塊女性が働いて輝く」とあった。確かにコンビニにしても、ファミレスにしても60代と思える女性がいきいきと仕事をしている。
ここに採用企業が認定する「働くアラウンド60、女性の効用」というのがイラスト入りで紹介されていた。ちょっと興味深いので抜粋してみよう。
1、人生経験に見合った責任感で仕事に手抜きがない。2、マニュアルに書かれていない心遣いができる。3、若い従業員にマナーや接客法を教えるお手本になる。4、客あしらいが巧みで自然に間を持たせる。5、ストレスを溜めこんだ同世代の男性を引き寄せる。6、忍耐強さと探究心で物事を簡単にあきらめない。などとなっていた。
何となく納得できそうだ。こんな能力があれば職場の戦力として素晴らしいとも思える。しかし、問題はたとえアルバイトとはいえ雇ってくれる職場があるかどうかだな。そういえば、先月、「団塊の世代の人は今の若者よりがんばって仕事ができますね」とある人から言われたことを思い出した。(私はその後の世代になるが。)

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箱根駅伝の争いは、大学間の経済戦争的な側面もある・・・
朝日新聞」土曜判2009.1.10付けより。
正月の2,3日ま毎年のように箱根駅伝を見てしまう。熱心なファンは走るコースの沿道まで出かけていって応援するようだが、私はあったかい家のなかでテレビ観戦ばかりだ。
今年は85回記念大会ということで23チームが走っていた。20校以上が強化費を投じて、高校生に対する激しい勧誘合戦を演じているようだ。箱根駅伝はまた入学願書締め切りの直前というタイミングで行われ、大学の宣伝にもつながっている。つまりそれが受験料収入につながっているということになる。
箱根駅伝を上位で走行した場合、受験料収入が数億円単位で増えるらしい。要するにビジネスチャンスともいえるのだ。往復で11時間もどこかの大学の名前が連呼されて、テレビに映されたら膨大な宣伝料だな、といつも思って観ている。
また選手獲得競争は「経済支援」の戦いでもあるようだ。授業料、寮費などを奨学金として全額支給する大学もあるという。大学は投資をしているということだ。だから箱根駅伝の成績が大学経営にも直結しているということになる。
そんなところから、監督の結果責任が厳しく問われて、あとええ名門校といえども監督交代があるのだった。(実際、日本代大、中央大、大東大などが前年のあと交替していた)。駅伝自体もドラマのようだが、選手が走る舞台裏にはさまざまな駆け引きやドラマがあったりするのかな・・・

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「ハッピー」は語源をたどると「出来事」と同じ・・・
「考える技術」渡部昇一著より。
ハッピーとハプニングがもとをたどれば同じだったとは意外にも思えた次第。しかも、日本語の「幸せ」はもともと「仕合せ」、つまり「事の成り行き」という意味でもあったのだ。
日英どちらも、「出来事」、ハプニングが起きることを言っていたのだ。昔はこのように、ハプニングに出くわすことで、幸せになるという意味合いがあり、外側から自分の幸せはやってくると思われていたようだ。
しかし、最近では外側というより内側にウェイトがかかっている。それはある意味不満のレベルにもよるようだ。すべてに満足していればいいが、不満が少ないほど幸せかもしれない。
ある意味、そんなふうに客観的に自分を眺められれば、自分は成長しているともいえる。かつては不満に思えたことも今考えれば、大したことでもないようにも思えてきたり・・・

平成14年12月の雑かわら版より。


紅白(外)

過去に実績があり、息の長いベテラン歌手だからといって紅白に登場できるとは限らないようです。例えば演歌の八代亜紀がそのひとりでしょう。今年の10月31日、私は新宿のホテルで開かれた八代の新曲発表パーティーに出席する機会がありました。当然ながら会場にはマスコミ各社が招待されていました。新曲の「悲しみよ隣りで眠れ」のほかにジャズボーカルなどでひと時を楽しませてくれました。

挨拶に立った、音楽プロデューサーで元日本レコード大賞の審査委員長だった小西良太郎氏が少し裏話を披露してくれました。新曲は作詞荒木とよひさ、作曲徳久広司の両氏が、誰に歌わせるかを決めず思い切り自由に書いた作品ということです。つまり「悲しみよ〜」は既製品だったのです。それを八代に歌わせたいと決めたのが小西氏とのことでした。かつてのヒット曲「舟歌」、「雨の慕情」も氏によって同様にプロデュースされていました。

八代のもう一つの顔は画家でもあることです。同会場には数十点の油彩作品が展示されていました。静物や動物の描写力はスゴイ。全国でデパートの個展を5回もこなすほど。フランス画壇登竜門「ル・サロン展」(約340年の歴史)に5年連続入選し以後は無審査という待遇になったばかりでした。

小西氏の話のなかの「何十曲ヒットを生んでも歌は無審査とはならず、流行歌を出すごとに大衆の審査を受けねばならない…」というボヤキも印象的でした。