筆無精の人がキーボード入力だとスラスラ書ける・・・

「その日本語が毒になる!」吉村達也著より。
すでにファンやご存知の方も多いとは思いますが、吉村氏はミステリー作家でした。(総著作数はもう200作品にもなるというが私は読んだことはなかった。)小説家という職業柄、言葉には敏感なのだろう。この一冊には日本語の弱点について述べられていた。
で、タイトルのフレーズになるが、実際かなり筆無精の人でもケータイではかなり頻繁にやり取りをしているはず。またネットでの書き込みを覚えると実に能弁になったりしているものだ。ところが、そんな人もハガキや手紙を書くことが好きというわけでもない。
キーボードを打つという行為はやや話すことと似ているが、喋るよりもむしろ声を発しないだけ楽にさえ思える。いま書いているこの日記も同様で、込み入った漢字も一瞬で変換してくれるから、ペンを持つより時間はかからない。
もし、実際に紙に書こうとすればもっとじっくり考えなければ書けないだろう。ということで、キーボードはほぼ感情のまま表現できる。むしろ言いっぱなしのことが多いかもしれない。気をつけねばな。

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初めからコメント欄を設定しないブログ形式・・・
「その日本語が毒になる!」吉村達也著より。
いろいろなブログを訪問していると、しばしばコメント欄を外してあるブログに出会う。もし、そこにメール機能があっても、そこまでしてコメントを送信しようとは思わない。
ブログはあまりじっくり考えたりしないで、頭に浮かんだことを次々にキーボードから打ち込んでいってしまうことが多い。またその時々にある写真なども添付すれば日記としていい記録ともなろう。表現形式はそれぞれ自由に設定できるが、ブログとして不特定多数に公開すれば、それを目にした人は何らかの感想や意見を持つこともあるだろう。
しかし、読んでいくら感動したからと言ってもコメント欄がなければせっかくの賞賛のひと言も添えられない。それはちょっと残念なことでもあるな。なかにはブロガーが有名人で批判的なコメントを恐れている場合もありえるが。
もし、コメント欄があればそこからネット上の交流もはじまり、貴重な意見も得られる可能性もあるだろう。とくにブログは感情の赴くままに書いてしまうことが多いので、独りよがりな文章になってしまいがち。(もちろん日記だからそれでもいいのでしょうが)
また、ブログ(日記)に対して他の人が書いたコメントを読むのも参考になる場合もありますがね・・・

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店員はどこまでもかしこまってクレームを承るものと信じ込んでいる人がいる。
「その日本語が毒になる!」吉村達也著より。
かつて演歌歌手の三波春夫が「お客様は神様です」という有名なフレーズを流行らせたことがあった。もう30年以上前のことだったろう。確かに彼にとってコンサートの来場者やレコードを買ってくれるファンは神様に思えたかもしれない。
しかし、一般のお店の店員は「お客様は神様」などと思っている人は稀だろう。とくに不当な苦情を持ち込むようなクレーマーに対しては客という意識もないだろう。クレームをつけられた店員は、その客が帰ったあとにはその客について、いかにヒドイ人間であるかまたは店のブラックリストとして社内に通達しているかもしれない。
一方的に怒られた店員だって黙って引っ込んでいるわけではない。たまたま立場がお客と店員というだけのことだったに過ぎない。そのクレーマーは再度同じ店に入れば冷たい視線を浴びることになろう。
また「二度とこんな店には来ない!」と客が怒鳴ったところで、一人の売り上げなどその店にとっては痛くも痒くもないことだろう。むしろ、そう言った手前、行けなくなって不便で困るのはタンカを切った客だろう・・・な。

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「おはようございます」に相当する適切な昼の挨拶は、・・・
「その日本語が毒になる!」吉村達也著より。
このあとには「いくら探してもないのだ」と続いていた。吉村氏は例を出している。朝、社長と廊下ですれ違った平社員は「おはようございます!」と元気に挨拶できる。
しかし、昼や夜に社長とすれ違った時に「こんにちは」「こんばんは」では馴れ馴れしすぎる、と指摘する。
これらの言葉に「ございます」をつけたとしたら、「こんにちは(で)ございます」と、変な日本語になってしまい笑われるだけだ。実に盲点となっている日本語の挨拶に思えた次第。
もしこれが英語なら「グッド・モーニング」「グッド・アフタヌーン」「グッド・イブニング」で済ますことができる。いかに日本語は不便であるかにも気付かされる。
ただし、芸能界では最初に会った時の挨拶は、昼でも深夜でも「おはようございます」で済ませられる。これも面白い世界に思える・・・な。


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「性格のオセロ理論」
「その日本語が毒になる!」吉村達也著より。
筆者は実に面白い言葉を思いついたものだ。つまりこれは、一瞬にして正反対の人間になれる、という意味だったのだ。よく耳にすることだが、凶悪犯罪の犯人が捕まると隣人や友人は「まさかあの人が・・・」という言葉を発する。そして「仕事ぶりは真面目で、会えばきちんと挨拶をする人だった」というようなパターンだ。
つまり白だと思っていたことが一瞬で黒に変わってしまうことからオセロという言葉を使っていたのだ。人は常にきっと無意識のうちに白か黒かに分けて人を見ているのだろう。人は誰でも善悪双方の因子を持っているものだそうだ。
真面目だと思っていた銀行員が巨額の横領をしていた事件は何度も目にしている。また聖職者だと(かつては)思われていた学校の教師が生徒に対してわいせつ行為があったなどもたまに聞く。警察官や裁判官も賄賂で便宜を図ったり。火消しの専門家の消防士が放火犯人だったことも。数え上げたら切りがない。
もっと身近では、信じていた人に裏切られた場合などもあるし、仕事上でも意外な一面を見た場合など(責任転嫁などで)を目にした時などもあるだろう。白が51%で黒が49%なら白になるが、その配合が2%移動しただけで白が逆に黒になってしまう。人の心のなかでグレーはありえない・・・のだな。