3といえば・・・

昨日、たまたま野球の3割ということについて触れたら、いろいろ思い出したことがありました。
最近ではお笑い芸人の世界のナベアツが「3の倍数と3月がつく数字のときだけアホになる・・・」というギャグを流行らせましたね。それとは別に、「若者はなぜ3年で辞めるのか・・・」のような本やトピックもしばしば取り上げられています。
「3日3月3年」などという言葉もたまに聞きます。この日記もいつしか3年が経過していました。読んでくださる方には感謝しております。いずれにしても、3という数字はこだわると身近にいろいろとあるようです。
実はこの日記を始める前に「雑・かわら版」というホームページを書いていたのですが、そこでは思いつくままいろいろと触れていました。ぜひ一度こだわりの「3」を覗いてみてください。
しかも何となくこだわって、それは平成14年3月(なんと6年も前,これも3の倍数!)、おまけにそれは第33号だったのです。きっとかなりアホなこと書いているなと思われることでしょうね・・・

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空白の達人・・・
「暮らしの風」2008.7月号より。
“夏の空白”と題して茂木健一郎さんが書いていたエッセイのなかにあったフレーズだった。この空白とはなんだろうと想像してみた。つまりそれは、普段しなければならない仕事、勉強、課外活動などたくさんの“ねばならないことから解放された時間”のようだ。
私の子どもの頃の夏休みはほとんど空白状態で今の子どものように塾や習い事に追われるということがなかった。かなりのんびりと過ごしていたように思う。しかし社会人になると、長い休暇はとれない。またそれが当たり前だと考えるようになってしまった。
茂木さんは、脳の働きを考えると「空白」は「ゼロ」という意味ではないという。脳のなかの神経細胞は常に自発的に活動しているようだ。そしてその隙間さえも埋めようとしていると語る。だから、空白の時間があれば創造性も育むことになるのだった。
しばしば、遊ばなければいい発想も生まれない、などということを聞いたことがある。これも同じような意味合いがあったのだろう。そこで、ダーウィンのことを引き合いに出していた。彼が「進化論」という構想を得たのも、5年間にわたるビーグル号での航海という「空白」があったからこそだと考えている。
そして、「種の起源」という名著は、5年間という夏休み(=空白)の結果生まれたと茂木さんは考えている。自由な発想はやはりしばられているうちは難しいのかも。現実に話をもどせば、たとえ1日でも好きなことでワクワクとして時間を過ごせる時間を持てれば“空白の達人”といえそうだが・・・