一見、シッポは無駄なようにも見えるが、シッポのないエビは、もはや

「キャッチフレーズの戦後史」深川英雄著より。
これを見たら何故かすぐに“尾頭付きの魚(鯛)”を思い出してしまった。つまり一見して“〜らしい”というものだろう。
エビをもっともエビらしく思えるのはシッポの部分だ。これがついてないとなんだか間が抜けているようにも思える。
食べる場合にはそこだけは残す不要な部分でもあるが、シッポがないとサマにならない。画竜点睛を欠くという言葉もやや似ていそうな感じがするな。まあ、ちょっとしたことで実体がつかみやすくなるものだ。
先ほどのエビのシッポの話しは、筆者が新潮文庫のコピー(約30年前のもの)から連想したものだった。その広告には桃井かおりの写真があり、何冊かの文庫本のタイトルが出ていた。
そのコピー(広告文)は「知性の差が顔に出るらしいよ・・・・・困ったね。」となっている。本来なら「知性の差が顔に出る。」だけで意味はストレートに通じる。つまりこれがエビなら食べる部分だろう。
そして「〜〜らしいよ・・・・困ったね。」がエビのシッポの部分となっている。これでより完成したコピーとなってイキイキした雰囲気が出てきている。
たとえば、「“ちょっと気になるフレーズ”もあまり人気ないらしいよ・・・・困ったね。」という感じでも使えるかな・・・