雑用という授業料を払って学んでいく。

「PRESIDENT」2005.10.17号より。
ここでは相撲部屋について述べられていた。この部分は次のようになっていた。「技能を身につけようとする人々は、雑用という授業料を払って学んでいくのである。」
(相撲は「古事記」や「日本書紀」にも登場すると言うから、日本では驚くほど長寿の格闘技でもあることがわかる。)
相撲部屋では共同生活をするのが特徴だ。修行中の力士は部屋に住み込み、部屋の大家族の一員として生活する。そして、雑用をこなしながら技能を教えてもらう。その雑用を通して先輩たちの工夫を知る手がかりとしている。つまり生活を共にすることで、効果的に学習していることになるのだ。
さて、授業料を払うといえば、ただ単に金銭の問題ではなく修行中に痛い目にあうことや失敗なども意味することもあるだろう。技能を身につけ、何かに上達しようと思えばそれなりに授業料は払わねばならない。将来それが自分の身のためになればいいのだが・・・
その期間の出費は持ち出しとも言える。また、授業料(出費)を払ったからといって必ずしも回収できるとは限らない。
まあ、社会人になりたてのころはいろいろな雑用があるもの。それも授業料と思って諦めるしかないか。いや、気がつけば今でも毎日雑用の繰り返しをしている。一生回収できそうもないか・・・