「複雑な現象というのは、単純な事実の投影に過ぎない」

「成功への情熱ーPASSION」稲盛和夫著より。
これは広中平祐先生の言葉だった。氏は数学の難問を次元を一つ高くすることで簡単に解いて、フィールズ賞を受賞していた。稲盛氏は信号のない交差点に四方から車が入ってくることを例にあげていた。当然ながらその状態では多重衝突は避けられない。
そこで、一つ次元を高めて立体交差にすれば、滞りなく車は通過できるという。交差点の真上から見下ろせば、二次元の平面に見え交差点で衝突するように見えるが、実際は問題なく通過していく。
人との関係も複雑に見えるが、単純な事実の投影に過ぎないものだという。つまり、かなり面倒に見えても別の角度から見れば、意外に大したことでもなかったりもするのだろう。
たとえば岡目八目というような言葉があるが、当事者よりもその後ろで見ている人間のほうがよく理解している場合もあるかもしれない。
時には、もし有能なあの人だったら、どうするだろうかと立場を変えて考えてみるのも有効だったりするのだろう。稲盛氏はひと言「心の次元を高める」と述べている。

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夢に酔っていればこそ、それを実現させる情熱が湧いてくる。
「成功への情熱ーPASSION」稲盛和夫著より。
これはビジネスを成功させるためには必要なことだという。とはいっても、いつまでも夢に酔ってばかりいたら決してものごとはうまく運ばないだろう。
稲盛氏はまずは、事業を始め、困難にぶつかってもあきらめずにそれを成功させるには、夢、強い情熱が絶対に必要だと主張する。
かつて、独占企業であったNTTに対して、第二電電をスタートできたのもチャレンジするという夢を持っていたからだと振り返る。常識なら無謀ということになる。
しかし、事業に着手したらすぐに「しらふ」の状態に戻らねばならなかった。無用な危険をさけるためにも、冷静に仕事をすすめていくことが重要なことだったのだ。


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否定的なものの見方は、人を成長させることもなく、問題の解決ももたらさない。

「成功への情熱ーPASSION」稲盛和夫著より。
ここでにタイトルは“善に見る習慣をつける”となっていた。同じ事実も、人の感じ方で善にも悪にも解釈されるものだという。
たとえば、全力で一生懸命働いている日人は、懸命に生きようとしている真面目な人と見れば、善になる。しかし、家族や自分の健康も顧みず、ただがむしゃらに働く仕事中毒とみれば、悪だともとれる。
物事が単純にいいか悪いかの判断は難しいことがある。できれば、善意で見ていく方がいいいという。同僚の中には、常に批判的な意見、後ろ向きの考え方の人がいるが、楽しい話題はほとんど出てこない。
またそんな人には同類の人が寄ってくるようだ。どうして楽しい発想ができないのだろうかと思ってしまう。世の中は善に見た方がよほど楽しいと思うのだが。

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楽観的に構想を練り、悲観的に計画し、楽観的に実行する。

「成功への情熱ーPASSION」稲盛和夫著より。
これは、一昨日の記事と関連している。筆者は、新製品や市場開拓など新しいことをすすめて、成功させて行く人は、楽観的に構想できる人だという。
まず、新しいことに取り組むためには、何としてもやり遂げたいという夢と情熱を持つことが大切だという。超楽観的に目標設定することが必要だった。
しかし、いったん計画の段階に進んだら今度は悲観的になれという。慎重に構想を見つめ直すためだ。もしもの時に備えて、あらゆる対策を施しておくという意味だった。
その対策さえ立ててしまえば、あとは楽観的に行動するだけだった。楽観、悲観、楽観へと頭を切り換えられるかどうかが重要なことだったのだ。常に柔軟な頭を持っていることがものごとを成功させるポイントのようだ。


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「職業の道楽化」
朝日新聞」土曜版2010.2.13付けより。
これは“磯田道史のこの人、その言葉”という連載コラムのなかで目にしたフレーズだった。この日は本多静六の言葉だったが、本多静六(1866−1952)について何も知らなかった。そこでウィキペディアでざっと調べてみた。そこには次のように書かれていた。
日本の林学博士(東大教授)、造園家。日比谷公園を皮切りに、明治期以降の日本の大規模公園の開設・修正に携わり日本の「公園の父」といわれ、人物像は次のようにあった。 幼少時に父親を亡くした経験とドイツ留学でのブレンターノ教授の教えから、勤倹貯蓄を処世訓とした。資産家として巨万の富を築いたが、退官を機に匿名でほぼすべてを教育、公共の関係機関に寄付したことでも知られる。
とくに巨万の富を築き、公共に寄付し、奨学金制度を作ったということからも立派な人物だと感じられる。本多氏が語るところでは、経済的に自立すると、仕事がお金のためでなくなり、いよいよ面白く、人一倍働けるそうだ。
実際それを実践してきたからこそ自然と出る言葉なのだろう。つまりそれが「職業の道楽化」だったのだ。しかも、家庭円満なら人生は幸福だという。まさにその通りだろうと納得できた次第。仕事も家庭もそこそこで健康であれば“よし”とせねばな。欲を言えば切りがないし。

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人生を改良するのはアイデアだ。
朝日新聞」土曜版2010.2.13付けより。
これも前日と同じコラムからのものだが、筆者の磯田氏が語っていた部分にあったフレーズ。これは一体どこから来たかといえば、本多静六の考えからだった。
本多は勤倹貯蓄とは関係ないが、手帳の利用を勧めていた。そして次のように言っている。「知識は小鳥のようなもので飛んできた時に捕えて籠に入れなければ自分のものにできない」と。
そして、寝床にまで手帳を持ち込み、生涯、メモを取り続けたらしい。そういえば、ウィキペディアには、「日々1ページ原稿を書くことを常としたため、370冊を超える著作がある。」ともあった。そんな膨大な著書もメモが元になって完成したに違いない。
凡人の我われは「あとで」とか「そのうちに」など言っていることの方が多いかも。だから何も残すことはできないか。ちょっと気になって取り上げたタイトルのフレーズだが、アイデアを集めれば人生を改良できるのだろうか・・・

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好きなものをさらに大好きなものにしていく。
朝日新聞」2010.2.14付けより。
朝日求人「仕事力」というインタビュー記事のなかで、作家、作詞作曲家の新井満さんが語っていたこと。かつて会社員としての現役時代、得意先にプレゼンをする際、氏は説明の途中で「イメージソングを作ってきました」と自分で作曲した曲を流したという。
その結果、得意先は喜び、競合には勝つことができたらしい。人がやらない、できないことで勝負をかけることは自分の強みになることがわかる。ここではいかに相手にわかりやすいかがポイントなのだろう。そのために努力は惜しまなかったという。
いい仕事をしたいと工夫する中で、いい曲を作る努力もして、それが作詞作曲家への道につながったと語る。それが、タイトルにあげた「好きなものをさらに大好きなものにしていく」ということだった。そのあとには「それが生きがいにもなっていく。同時に役割を果たすことにもなった」と述懐している。
会社員でありながら、小説を書き芥川賞を受賞したり、作詞作曲家として活動をしたりとすごいマルチの才能を発揮していた。いろいろな道でプロとして通用するのは並みの好きではできないことだな。