知識には、受動的知識と能動的知識がある。

知識には、受動的知識と能動的知識がある。
「人を動かす文章術」齋藤孝著より。
齋藤氏はこう思っているとあった。そして、受動的知識とは、知っているけれども活用できないものだった。実際われわれの持っている知識のほとんどはこれだった。
しかし、書くという作業を前提として学ぶと、インプットの仕方や気構えは驚くほど変化するそうだ。ネタが外にあっても、自分で文章にまとめることで、自分で活用できるネタにしてしまうことができるという。
さらに、そこに自分の知識や経験を絡めていくと自分自身のオリジナルなネタになってしまうのだった。これが能動的知識だった。まずは書くことを生活に取り入れることがポイントなのだろう。

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構成力は書く力の重要な柱。
「人を動かす文章術」齋藤孝著より。
ここで筆者は、講演会で聞いた話、教養番組で見聞きした話を、誰かに伝えるつもりで、文章に再構成することを趣味にしたらどうかと提案していた。そうすることで、知識も身につくということだろう。
また書いた文章もそれだけは張り合いがないので、友人にメールで送ってみたり自分のブログにアップしたりするべきだという。確かにそれは必要だろう。
単に書いただけではせっかくの知識や感動も埋もれてしまう。何らかの形で人に発表することが大事だった。普段自分が触れていない情報を与えてもらえるというのはありがたいことだった。
そういえば、フェイスブックでも、珍しい植物や果物をアップしたときは、初めて見ることができた、または名称を知ることができたというコメントをしばしば書いてくれる。
そういう反応があると写真を撮った自分も嬉しいものだ。知識を誰かに伝えることで、感謝され、人脈を太くすることができるようだ。

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文章というのはほとんど自分の内部に蓄積された他者の認識。
「人を動かす文章術」齋藤孝著より。
齋藤氏は今までかなりの数の著書を出してきたが、その99パーセントは自分が読んできた本から得た、他社の認識で成り立っているという。
つまり自分自身で、まったくゼロの状態から生み出した認識というのは、ごくごくわずかだと述懐している。
孔子は、自分自身の感覚とは九割以上が過去のものの継承だと知っていたという。大事なことはできるだけ多くの他者の認識を自分の認識として定着させることだったのだ。
あっという間に消えてしまうような情報を追うだけでは、自分を深めることはできないのだった。他人の話を引用し、咀嚼し、文章化して定着させるというプロセスがポイントだろう。齋藤氏は自己を深めるとか磨くより、むしろ広げるものだと考えていた。