知識がなくとも、知識があるように見せかけることもできないわけでは

「他人に軽く扱われない技法」内藤誼人著より。
いずれにしても教養がある人は、他人からあなどられることが少ないようだ。むしろ教養があることでトクすることがたくさんあるという。
そこで読書もあまりできなくても、ある程度は自分の知識をアピールすることもできる方法について触れらていた。その1は自分の体験談から知識を引き出すことだった。
つまり現場で身につけた知識があることを示しておけばいいのだった。または趣味にもとづく体験から知識を引き出してもいいようだ。
2番目は他人から話を聞くことだった。誰かから聞いた知識を、自分の知識にしてしまばよかった。つまり受け売りということになるが、その話が本当であることが条件だろう。
3番目はテレビの教養番組から知識を仕入れることだった。これなら本を読まなくても済んでしまう。テレビも使いようによっては情報の宝庫だったのだ。

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朝の時間の過ごし方が、その日のよしあしを決定づけるといっても過言ではない。
「人は自分が期待するほど、自分を見ていてはくれないが、がっかりするほど見ていなくはない」見城徹藤田晋著より。
歳をとるにしたがって自然と早起きになってしまう。いつまでも寝ていられない。見城氏はどんなに前日の夜が遅くても、朝6時には目を覚ますという。
そして、出社は十時半ということから、自由時間は4時間半あることになる。早朝にはスポーツクラブへ行くこともあるという。それによって一日の充実感も異なるらしい。
なんとなくそれは理解できる。4時間半とはいっても、何もしなくても時間はどんどん過ぎてしまう。やはり限られた時間だからこそ、有意義に使おうという気になるのだろう。
朝とはいっても早朝と考えた方がよさそうだ。なんでもギリギリよりも余裕をもって行動する方がいい結果がのぞめるものだ。起きたばかりでは頭もぼんやりして働かない。
私もこの数年間はブログなども朝のうちに更新することにしている。書いているうちに何となく頭が働きだすようだ。何もしなければぼんやりしたままなのに。
また起きて前日の疲れを感じないときは、ラジオ体操や簡単なストレッチをしている。だるい時などは、身体を無理やり動かす気にはならない。身体を動かそうという気になるかどうかは体調のバロメーターにもなっている。

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